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明治の会計法制定 一般競争で大混乱
明治時代につくられた会計法が、現在も現行法として、入札制度改革の足枷となっている。多くの人達が会計法の改正が必要だと述べるが、なかなか具体的にならない。
極めて問題の多い一般競争入札を基本とする会計法の制定とそれによる当時の建設業に与えた影響について時代を遡ってみてみよう。
会計法は、明治22年(1889年)2月11日に公布された。時の大蔵大臣は松方正義で、後に総理大臣となる。公布された会計法は、いきなり欧米から直輸入した一般競争入札「総て公告シテ競争ニ付スベシ」(第24条)を導入したから大変なことになった。
ようやく業界としての秩序ができつつあった建設業は、一般競争入札のせいで下克上ともいえる仁義なき戦いに突入していった。
当時の建設業は、鉄道、庁舎、工場、道路、橋など近代国家形成のためのインフラ整備が極めて盛んで、各企業も急成長をしていた。なかでも鉄道は、民営工事が次から次に発注され、日本の土木工事の発展は鉄道工事と軌を一にしているといわれるほどであった。
こうした状況により、建設業も企業の体制を近代的なものにしようとしていた時に、一般競争入札の導入は、衝撃を与えた。請負工事の工事量に比べ請負業者の数が年々増加し、限られた工事をめぐって激烈な競争が生まれた。現在と同じような状況が明治時代にもあったわけである。
競争の結果、建設業者は甚大な損失を被り、倒産する業者が続出した。当時の建設業者の経営は、脆弱な個人商店の状態を引きずっており、一般競争入札だけに倒産の原因を押し付けるわけにはいかないが、それでも、厳しい価格競争で酷く傷ついたことは間違いない。
この間の象徴的出来事に有限会社の日本土木会社の設立と解散があげられる。渋沢栄一、大倉喜八郎、藤田伝三郎、久原庄三郎などの一流の財界人が設立発起人になり、当時のお金で2百万円という高額な資本金で会社が設立されたのが、会計法公布の2年前の明治20年。土木、建築の工科大学出身の技術陣をそろえた我が国最初のゼネコンともいえる会社であった。
同社が狙ったのは、軍事施設や官庁集中計画などの大型プロジェクトであり、エンジニアリング・コンストラクションとして特命で工事を受注しようとした。
ところが、日本土木会社は、わずか6年で倒産してしまった。同社を打ち倒したのは、会計法での一般競争入札の導入である。単純な請負工事を低価格で受注するのは、一般管理費のかからない小さな請負業者の方が有利だったための結果といえよう。
一般競争入札導入で業界も痛手と混乱を被ったが、発注者も日清戦争の特需、国力増強など増大する工事量を抱え、対応に苦慮した。一般競争では、手続きに時間がかかり、品質検査、企業倒産への対応に追われ、工事発注の処理に困難を来した。
そこで、第2次山県有朋内閣の末期、明治33年6月、政府は、「政府ノ工事又ハ物件ノ購入ニシテ無制限ノ競争ニ付スルヲ不利トスルトキハ指名競争ニ付スルコトヲ得」との勅令を出した。これが指名競争入札の始まりである。
現在は会計法発足当時の一般競争入札に先祖返りした格好であるが、価格競争の激化により、建設業者倒産増加を招いている状況も同じである。明治以来の会計法を抜本的に見直して、新しい公共調達システムを構築することを急ぐべきであろう。(東京都M・K)
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